追悼/アントニオ猪木さん/数々の感動をありがとうございました










僕が中学1年生だった昭和55年にテレビ信州が開局、同時に金曜夜8時からワールドプロレスリング中継が放送されアントニオ猪木さんに魅せられて行きました
僕の父親は仕事や学歴自慢ばかりして子供心に何か違うと思っていました。
酒や博打が好きで何日も帰ってこないと思っていたら酒を呑んで寝てばかりで頭1つ大きな外国人レスラーをなぎ倒す猪木さんには父性や理想の男性像をみていました。
猪木さんがアントンハイセルという事業を始め世界の食糧危機を救おうとしたのに感激して進路変更した…こと
身体が小さかったのでプロレスラーには成れなかったですがキックボクシングのリングで3戦し山梨の空手道場が主催したプロレス対空手の興業では前座で空手家とキックルールで対戦しプロレスラーと控え室が同じだったこと…など猪木さんから多大な影響を受けました
猪木さんは2年前の9月に台風被害やコロナ禍で元気がない長野市を励ますためにビッグハットに来てくれました。当時使っていたガラケーでは写真を引き伸ばす方法を知らずに2枚目が猪木さんがビッグハットに登場した時の写真です。
3枚目からは今年3月にNHKで放送された猪木さんの闘病生活のドキュメンタリーの様子です。アニキ分のジャイアント馬場さんと交流を深めていると想像します。
過激に人生を切り開いてきたアントニオ猪木さん、数々の感動をありがとうございました。ご冥福を祈っています
2022年12月31日 Posted by プラネマン7 at 07:41 │Comments(0) │プロレス│つぶやき
アントニオ猪木/22年10月1日79歳で死去








昭和55年にテレビ信州が開局すると金曜日夜8時からワールドプロレスリング中継が始まりました。
僕の父親は家に居ることは少なかったですが時々帰ってきてはテレビを観ているかゴロゴロし僕の顔を見る度に勉強しろと口を酸っぱくしていました。今から思うと気持ちや立場が分かるのですが時々帰ってきては辛そうな顔をして食事をしているのが知らないおじさんと会食しているような気がして嫌で頭1つ大きい外国人レスラーをなぎ倒す猪木さんに理想の父親像を見ていました。
世界中をサーキットしてプロレスをメジャーにするIWGP構想に大きな夢を抱きサトウキビの残りかすに薬品を加え豚の餌にして世界の食糧危機を救いたいというアントンハイセルの話しを知り僕も大きなことをしたいと強く影響を受けました。
高校時代は電車通学していましたが向かいの席に座っていた人が日経を読んでいて砂漠で野菜がスクスク…という見出しが目につき調べてみると鳥取大学農学部は砂丘の研究を生かし砂漠の緑化に取り組んでいると知り卒業後の進路に目的もなく就職するつもりでしたが進学希望になり猪木さんのように世界規模の活動をしたくなりました。
結局アントンハイセルも僕の鳥取大学進学も失敗に終わりましたが…
猪木さんの凄いところは常に挑戦して人生を切り開いてきたことだと思います。
アリ戦やアントンハイセルでの借金の逆境を跳ね返してきたことや異種格闘技戦等新しいジャンルにチャレンジしてきたことや政治家になったことなどバイタリティは素晴らしいと思います。
個人的に凄いと思うのは東京ドームで興行を成功させたことでした。
東京ドームで最初に格闘技興行を行ったのはマイクタイソン選手のプロボクシングヘビー級選手権でしたがこちらは動く金額が桁違いで省きますが猪木さんが最初に行いました。
当時旧ソ連がペレストロイカで外貨獲得のためにレスラーや柔道家を派遣してきました。
猪木さんは日米ソの3ヶ国によるビッグイベントを東京ドームで開催することにしました。1989年4月24日で当時東京の専門学校に通っていた僕は生観戦しました。
旧ソ連の格闘家はプロレスが出来ないだろうし借金だけが残るのでは…と思いましたが緊張感のある試合が多く見応えがありました。
猪木さんはチョチョシビリ選手と異種格闘技戦を行いました。ロープを外し柔道家の力を出しやすくしたのも猪木さんのプロモーターやプロレスラーの力があったからだと思います。猪木さんは裏投げで敗れましたがリベンジマッチを観に大阪城ホールに行きました。
初めての旅行でした。1年後に就職した会社で大阪に配属になったりその頃は知らなかった青春18キップで旅をするようになったのもこの時の経験があったと思い猪木さんに影響を受けていました。
1月4日の基盤をつくり東京ドームで格闘技興行が行われるようになったのは猪木さんが第一歩を踏み出したからだと評価しています。
猪木さんは2年前の9月に台風被害がありコロナ禍の長野市を元気にするためにビックハットに来てくれました。猪木さんも体調がベストでは無かったと思いますが観に行って良かったです。
猪木さん感動をありがとうございました。ご冥福を祈っています。写真は今年2月にNHKで放送された猪木さんのドキュメンタリーのものです
2022年10月10日 Posted by プラネマン7 at 04:52 │Comments(0) │プロレス
前田日明が思うプロレスの天才は…/アントニオ猪木と藤波辰爾

格闘王前田日明さんがノアの拳王選手のユーチューブチャンネルに呼ばれプロレスの天才について聞かれたそうです。
前田日明さんはアントニオ猪木さんと藤波辰爾さんの名前をあげました。
猪木さんは別格として藤波辰爾さんはどんな選手とも名勝負が出来ることをあげていました。
確かに長州力さんは藤波辰爾さん以外との名勝負はあまり浮かんできませんが藤波辰爾さんは木村健吾さんやストロングマシーンさんとも良い試合をしています。
本格的な格闘技経験がなくプロレスデビュー、生粋のプロレスラーだと思います。本来ジュニアヘビーの体型なのに増量した経緯もあり外国人レスラーとの激闘あっぱれだと思います。
藤波辰爾さんはジャンボ鶴田さんやマスカラスとのシングルが観たかったです。
藤波辰爾さん、生涯現役で頑張って欲しいです
2022年09月10日 Posted by プラネマン7 at 22:14 │Comments(2) │プロレス
プロレスラー鶴見五郎さん/22年8月26日/73歳で死去




若い頃は中堅レスラーとしか思っていませんでしたがヤフーニュースでのコメントを見ていると理系出身だったことや自宅に泥酔した不審者が現れても優しかったり遺体を献体登録して社会貢献しているなどいろいろなエピソードを知りました
ヒールの人は実は良い人が多い一例でした。
グレートカブキ選手が初来日した時に対戦したのが鶴見五郎さんで本来なら毒霧で反則勝ちなのに自分の立場を演じカブキ選手の活躍に花を添えたことも他の人のコメントから知りました。
国際プロレスを知る選手であり名レスラーが亡くなり昭和がまた遠くなった感じがします。鶴見五郎さんのご冥福を祈っています
2022年09月03日 Posted by プラネマン7 at 22:16 │Comments(0) │プロレス
元プロレスラー/キラーカーン/尾崎豊さん没後30年の集いに参戦

キラーカーンこと小沢正志さんは3月にS状結腸がんを公表し4月7日に手術を受け16日に退院したそうです。
小沢正志さんがプロレスラーを引退して都内でスナックを経営していた時に尾崎豊さんが知人に連れられ来店、気に入り何度も来店して従業員のまかない用のカレーライスを好んで食べていたそうです。
今回のイベントは入院前から出演は決まっていたそうで小沢正志さんと尾崎豊さんの絆の深さを感じます。
スーパースターが来店したのも小沢正志さんの人柄があったのだと思います。
坂口征二さんが旧日本プロレスを退社して新日本に合流しましたがもしも坂口征二さんが全日本プロレスに移籍したら付き人だった小沢正志さんも全日本に行くことになり同じ新潟県出身のジャイアント馬場さんに可愛がられタッグを組み外国人レスラーと好勝負をして日本のプロレスの歴史も変わっていたのかな?と思いました。
小沢正志さんも現在75歳になり時の流れを感じますが病気の平癒と更なる活躍を願っています
2022年05月02日 Posted by プラネマン7 at 23:12 │Comments(0) │プロレス
元プロレスラー/安田忠夫さん/資格取得で大企業並みの月給に…

安田忠夫さんと言えば大晦日に生放送でバンナ選手と激闘しタップを奪った試合をリアルタイムでみていて娘さんを肩車していたのが印象的でした。
相撲では小結になり総合格闘技ではバンナ選手に勝ち坂口征二選手のテーマソングを譲り受け実績は残しながらもギャンブル等で身持ちを崩し残念に思います。
僕の父親もギャンブラーで最後は違法賭博に手を出し退職金や実家を手放し僕も悪影響を受けました。父親も安田忠夫さんも本人はワクワクするのでしょうが身内にこうした人がいると大変で娘さんのことが気になります。
プロレス引退後は職を転々としていた安田忠夫さんはおととしの12月に京成電鉄の列車見張員許可証の資格を取得、サウナに寝泊まりしたり知人宅に居候したりしたこともありましたが現在は37000円のワンルームを借りて自立、他の仕事も掛け持ちして2月は28日中26日出勤し大企業並みの月給を稼いだそうです。ただギャンブル癖は治らずスマホを片手に全国の競艇場にお金をつぎ込んでいるそうです。
プロレスラーや格闘家はセカンドキャリアで苦しむ人が多いですが今度は落ち着いて娘さんを悲しませることがないように頑張って欲しいです。安田忠夫さんの第3の人生の活躍と娘さんのご多幸を願っています
2022年04月03日 Posted by プラネマン7 at 23:22 │Comments(2) │プロレス
元リングス/山本宜久/ステージ4の大腸癌を克服

山本宜久選手は総合格闘技黎明期でのヒクソン・グレイシー選手との激闘やミルコ選手との対戦など数々の感動を与え活躍したプロレスラーでした。
21年12月19日に自身のユーチューブチャンネルを開設したそうですが風貌がかなり変わっていることでファンから心配されていたそうですが3月8日にアップした動画の中でステージ4の末期癌を克服したことが語られていたそうです。
医師から5年生存率が18・8%と言われ放射線治療は副反応が出て合わず手術しても完治が難しいかもしれない…と応えられ強引に退院して癌に関する本を読みあさり低速ジューサーで野菜2キロをジュースにする方々を続けたところ5年が過ぎ精密検査を受けたところがん細胞が消え転移も見つからなかったことが語られていました。
癌を克服したことは天命があるということだと思います。これからもプロレスで培ったことを生かして頑張ることを願っています
2022年04月03日 Posted by プラネマン7 at 04:11 │Comments(0) │プロレス
元女子プロレス/高木千尋/2児の母親がプロボクサーを目指す

プロボクシングの世界チャンピオンだった薬師寺保栄氏が名古屋市で営むジムに異色の経歴を持つボクサーがいるそうです。
かつて格闘探検隊バドラーツの女子プロレスラーとして活躍した高木千尋選手が完全燃焼したいという思いでボクシングに転向したことが書かれていました
格闘探検隊バドラーツは僕の観戦仲間が関連のジムに入りそこで知り合った女性ファンと結婚しました。
別の女性の観戦仲間がバドラーツにハマり全国各地の巡業に観戦して自らバド貧(バドラーツ貧乏)と言っていました。
長野五輪前の1997年に山ノ内町に巡業に来て僕も観戦に行きました。バチバチのファイトが好評でヘビー級キックボクサーのモーリススミス氏がバドラーツを観戦してoh・クレージーと言ったのは有名なエピソードです。
高木千尋選手のことは覚えておらず申し訳ありませんが結婚を機会に名古屋市に移住、2児の母親として過ごしながらもコロナ禍で自分の人生を考え薬師寺ジムに入門、週6回のファミレスのバイトや子育てをしながらジムに通っているそうで意志の強さを感じバイタリティが凄いと思います。
現在34歳で現役生活は限られますがプロレスラーとして培ったものを生かして頑張って欲しいです。高木千尋選手の活躍を願っています
2022年04月03日 Posted by プラネマン7 at 02:31 │Comments(0) │ボクシング│プロレス
元プロレスラー/アポロ菅原さん/熊本市で居酒屋経営

アポロ菅原さんといえば1991年に旧SWSの神戸興行で鈴木みのる選手と不穏試合をしたことが有名です。
当時僕は大阪に居たのですが金曜日夜だったので観戦に行かれずに悔しい思いをしました。
記事のコメントを読むと31年前の試合でもいろいろな見方があり語り継がれているというのは凄いことだと思います。現在現役の鈴木みのる選手も不穏試合を経験して糧になったと思います。アポロ菅原さんも記録より記憶に残るレスラーとしてファンにインパクトを残したと思います。
個人的なアポロ菅原さんの思い出ですがアポロ菅原さんは全日本プロレスを解雇され剛竜馬さんや高杉さんとパイオニア戦士を設立しました。その後アポロ菅原さんは元横綱の北尾さんのコーチをしていた記憶があります。
僕が就職した1990年のゴールデンウィークに後楽園ホールで新日本プロレスを観戦に行きました。
長州力さん、佐々木健介さん対剛竜馬さん、高杉さんのタッグマッチがありましたが高杉さんがイスで殴られ流血していました。力の差が歴然としているのでやり過ぎでは…と印象に残っていました。
試合後セコンドにいたアポロ菅原さんに剛竜馬さんが突っかかっていき乱闘になりました。こいつだけは許せないという剛竜馬さんの気持ちが見え隠れした乱闘だと当時は思いましたが剛竜馬さんも亡くなり時の流れを感じます。
アポロ菅原さんはレスラー引退後はクロネコヤマトの委託ドライバーをしていたそうですがレスラー時代に悪くした膝に負担がかかりやめて奥さんの実家のある熊本市で居酒屋を始めることが書かれていました。
熊本大学に近いそうで大学生に贔屓にされ繁盛して欲しいです。
アポロ菅原さん現役時代は感動をありがとうございました。ご商売の繁栄を願っています
2022年03月24日 Posted by プラネマン7 at 23:01 │Comments(2) │プロレス
パキスタンの英雄/ペールワンの親族がノア入団/猪木氏の支援で来日

アビッド選手は猪木氏が1976年に死闘を繰り広げたパキスタンの英雄故アクラム・ペールワン氏の一族で猪木氏が14年に同国を訪れた時に猪木氏に弟子入りを志願、熱意をくんだ猪木氏の支援で来日すると日体大でレスリングのトレーニングを積み学生選手権で準優勝したり東京五輪のパキスタン代表の最終予選で敗退するなど健闘しています。
今後はノア所属としてプロレスのトレーニングを取り入れつつ日体大を中心に練習してパリ五輪出場を目指した後でプロレスデビューする予定です。
猪木氏が現役の頃にIWGP構想を掲げた時に世界中からレスラーを発掘することも考えていました。今回のアビッド選手のノア入団はIWGPの流れだと思い歓迎します。
アビッド選手パリ五輪出場後は一流プロレスラーになりパキスタンのプロレスを盛りあげて欲しいと思います。アビッド選手の活躍を願っています