2020年元旦は千曲市の森将軍塚古墳山頂で初日の出をみました。
令和2年であり2020年代に突入し台風被害から復興を願いイトーヨーカドー閉店や飯綱高原スキー場閉鎖に1つの時代の終わりを感じていたのですが…
中国の武漢から疫病が発生し何百年に1度の体験をすることになりました。
昨年の4月頃には僕の勤務先や取引先で感染する人が増え飲食店は時短営業していましたが…
3月4日に須坂市動物園に行くと検温器が無くなっていました。翌日パルセイロレディースの観戦に行きました。
チケットの裏に連絡先を記入していましたがその必要は無いと言われ今まで半券は自分で切り取っていましたがボランティアの方が切り取ってくれ条件付きながら声出し応援も可能になり長野県内では感染者の水準が8ヶ月ぶりに少なくなり新型コロナウイルス上陸から3年…段々と日常に戻りつつあると感じました
旅行業界やサービス業の方はコロナ禍で被害を受けたと思いますが旅行に規制が無くなってきたので盛り返して欲しいと思います。
話は変わりまして…
僕は1990年の3月に東京の専門学校を卒業して社会に出ました。
就職活動中に食品のパッケージを扱っている会社に面接に行きました。他に割り箸も扱い東南アジアに工場があると言い興味を持ち十中八九その会社に入社するつもりでいました。
もう1社アポをとった会社があり一応面接に行きました。人事の方が〔当社には君と同じ長野県の鬼無里出身の社員がいるよ〕と言われました
僕は引きこもりになったりして2年だぶっていましたがその方は僕より1つ年下でした
その方はあまり優秀なイメージがなかったので彼が勤まるなら僕にも出来るかな?と思いパッケージの会社を辞退して鬼無里の後輩がいる会社に入りました
僕は大阪に配属になり鬼無里の後輩と仕事をすることは無かったのですが…
僕はその会社を10年勤務して退社しましたが鬼無里の後輩は頭角を現し僕が退社する頃に西日本に新規出店した支店の管理職になっていました
僕も現在の勤務先に勤め20年が過ぎ新卒で入った鬼無里の後輩がいた会社より長くなり忘れていました
コロナ禍でテイクアウトが増えもしもパッケージの会社に勤務していたらボーナスが良かっただろうな…とふと思い鬼無里の後輩のことを知らなかったら別の人生を歩んでいたかも…と考えてしまいましたが…
もしもパッケージの会社に入っていれば格闘技もしなかったし愛犬とも会えなかったので…
上手くいかないとたられば…に想いを馳せますが…自分で選んだ環境で頑張るしかないと思った新型コロナウイルス上陸三年目でした